アウトプット

『学ぶための対話』は3度読みました.

ノナちゃんが教室にいっぱいいる,と感じました.

そして,「野太い声」の持ち主に,自分がなっていないか?と恐る恐る振り返っています.

 

ノナちゃんもそうだけれど,自分の中のもやもやを形にして外に出す,アウトプットすること,その訓練(スキルの取得)をする機会が,学校生活の中では十分にないように思いました.教師が与えるほうが圧倒的に多いのと,アウトプットのための技(小論文の構成など)を教えたり,問いによって(「僕」がノナちゃんと対話したように)思考を整理させたり,発言を導いたりすることを個人的に行うための時間が十分に設定されていないように思えます.

自分の授業では教科特性を活かし,問題演習の時間をできるだけ長くとり,互いの教えあいを奨励し,自分への質問もOKにして,上記の訓練(試行錯誤)の時間にあてています.アウトプットを意識してそのような構造にしたというよりは,生徒をアクティブにするという方向からのアプローチから入り,いろいろなものを取り入れながらおこなっている結果論かもしれません.

あと,数日前に読んだブログ(失念!残念…)で,「アウトプットすると精神安定」というご意見があり,それに乗ってみようかなという意識でいます.実はこんなブログでも結構時間がかかるので,今週は少し離れてみたのです.結局ネットを徘徊してパソコン利用の時間はあまり変わらず.だったら何かしら書いたほうがいいかなぁと考えています.

家族に受験生がおり,親は気が気でないのですが,本人あまりにも勉強せず,その割には全然手の届かない学校を志望校にしている.他人の子供(生徒)なら冷静に見れるのに,自分の子供を100%受け入れているかといわれると…自分の偏見や思い込み,歪んだ価値観に気づかされる毎日,子育てうまくいかないな,自分が親になってはいけなかったんだなと…後悔でいっぱいの日々です.